世界の終末にCharacter Piecesを -capriccio-
雨のせいかあの人のせいか、いくらかは眠れたらしい。少しだけ身体が痛む。
朝方なのに外は一昨日から降り止まぬ雨のせいで薄暗く、屋敷のあちこちで雨が床やバケツやコップに滴る音が聞こえる。雨漏りしているのだろう。
感謝しなくては。あの人がこの屋敷に連れてきてくれなければわたしはこの屋敷で暮らしていたことを思い出すこともなかっただろうから。
あの人が待っているような気がしてわたしは寝室を飛び出した。
あれからあの人はどこで寝てしまったのだろう。真夜中の出来事に後悔しつつも、確かにわたしはこの屋敷で暮らしていたことがあるらしい。迷うこともなくとある一室へと辿り着いた。
そこは、わたしの記憶が正しければ屋敷の中で尤も光の降り注がれる場所。今は雨によって大きな天窓から降り注ぐはずの光は遮断され、ぼんやりとピアノだけが薄暗い闇に浮かんでいるのだけれど。
あの人がこの部屋で待っているような気がしたのは勘違いだったのかもしれない。
ふらふらとみえない糸で引っ張られるかのようにピアノに近付く。そっと鍵盤を叩くと高い音が響いた。
頬がにやける。なぜだか懐かしい。
聞いた話によるとわたしはこの音が好きらしい。たとえ泣きじゃくっていてもこの音を耳にすれば泣きやんだとか。とはいっても、わたしは何一つその頃の記憶など憶えていないのだが。
もう一度同じ鍵盤を叩いたところでわたしの内で何かが弾けた。
(さあ、おいでよ)
かつての記憶。失ったままでいなければいけなかった記憶。重々しい不協和音が全身を駆け巡り、頭の中で銃声が響いた。
「まいったよ。きみときたらこんな場所にいるなんて。……大丈夫? 顔色が悪いよ?」
「大丈夫。あなたに呼ばれているような気がしたんだけれど気が付いたらこの部屋にいたの。このピアノが呼んだのかも」
にっこりと微笑んでみせた。
わたしがあの音を耳にすれば泣きやんだというのは強ち嘘ではないだろう。たとえそんな嘘をついたところでどうにもならない。
「それはそれは。……真っ先に怒られたらどうしようかと思ってた」
「勘違いしないで」
答えはなかった。
そっと何か弾いて欲しいと促すとあの人はわたし達が出逢った曲を弾き始める。
この人ならきっと大丈夫。愛してくれる。心のどこかでそんな淡くて甘ったるい夢を懐いていたのだと思う。あの頃からの癖だ。極々ありふれたドラマのような出来事に心踊ってしまう。
あのとき、わたしはこの人のくだらない妄想に付き合っているはずだった。それだけのはずだった。黄昏時の世界を彷徨っていただとか。マエストロの遺産がこの屋敷にあるかもしれないとか。
それなのにいつの間にかわたし達は抱き合っていた。いつ壊れてもおかしくないようなあのベットの上で。一つの現実の真っ只中に居た。
「遺産だって知ってたから抱いたの?」
唐突な質問に対して返事らしい返事はなかった。けれど淡々と続くメロディに答えを見出せたような気もする。
ピアノに無造作に置かれていた拳銃を手にとりバァンとおどけて床を撃ってみせる。それでもメロディは淡々と続いていた。
「あなたはわたしが犯した罪の全てを許してくれるといって許してくれたけれど、最後の罪だけは、きっといつまでも許してくれないでしょうね」
あの人のこめかみに拳銃を突き付けバァンと撃った。数分前に頭の中で響いた音と同じ不協和音と銃声。信じられないくらいの血が吹き出して、わたしとピアノが真っ赤に染まる。あの人の身体が床に叩きつけられる。たった数秒の出来事が数十分のように感じた。
マエストロのためにもこの人を殺さなければいけないという感覚は一つもなかった。悲しいだとか嫌だとかいう感情ですら。それはきっと、わたしがあの頃のわたしに戻りつつある証拠なんだろう。
「あなたなんてだいきらいよ。マエストロの足元にも及ばない」
わたし達は出逢うべきじゃなかった。何事もなかったかのようにあの人の弾いていた曲を弾き始める。
流れる涙の意味は分らない。きっと今になって後悔しているんだろう。
以下反転であとがき >2008/11/30
Character Piecesは性格的小品のこと。ピアノが出て来たのはそのためです。capriccio(奇想曲)は気まぐれという意味。
元々は長編というかたちで書こうとしていたもの。なのでマエストロが何者なのか、彼女=遺産なのかとか書いてないのです。
日を改めて続くかもしれない。